木崎小学校PTAトリビア
トリビアとは「豆知識 雑学的なこと」
【最終回】50年前も〇〇で役員決め⁉️
木崎小に現れた青大将!?
昭和の初めころ、木崎小に青大将が現れるという事件が起きました。
農村地区の学校だったこともあり、深い木立に囲まれ、畑もあり田園色豊かな学校でした。
花壇の近くで叫び声が聞こえ、子供たちが長さ1メートルほどの青大将を囲んでどうしようかと悩んでいました。
すると、騒ぎを聞きつけた先生が長い試験管を持ってきて、青大将の首に近づけるとその中に入り込み、
すかさず、蓋をして騒ぎが収まりました。蛇の習性を利用した対応に子供たちは関心したようです。
※青大将は日本の固有種であり、特有の生態や文化的な側面を持つヘビです。
広報キザキ昭和42年より
現在の校舎は、なんと完成まで12年間かかった!!
1970年(昭和45年)校舎の老朽化に加え、児童数の増加による校庭狭あい、更に、産業道路の交通量増加からの騒音排除を考え「新校舎改築に関する問題」を運営委員会に提議し、翌年浦和市議会に校舎改築に関する請願書を提出しました。以降、陳情書、請願書提出を繰り返し、1976年(昭和51年)に鉄筋コンクリート新校舎起工式にようやく取り付けました。1977年(昭和52年)新校舎(第一期)の引き渡しが行われ、落成式をしました。また、体育館の着工と地鎮祭が行われ翌年完成しました。1981年(昭和56年)に、第二期(現在の職員室がある部分)工事が終わりました。
延べ12年の歳月が費やされ、現在の形の校舎が完成しました。
木崎小学校の歴史を感じる正門!
明治時代の木造校舎に使われた学校のシンボル・鬼瓦です。デザインは、鬼の面ではなく、瓦の中央に「學」の一文字が入っています。正門の改修工事の時、記念として埋め込まれました。木崎小学校の古い歴史を見守ってくれているこの鬼瓦をぜひご覧ください。(135周年 広報誌きざきより)
こんなところに歩道橋があった!
かつて、旧正門付近(現在の西門)に歩道橋がありました。1965 年(昭和40年)、教育委員会、学校、PTAと地域の人々の多大なる協力により完成しました。完成まで、3年にも渡る歳月が費やされました。その後、長い間、児童と地域の人々が、安全に横断するために使われていました。130周年航空写真にその勇姿を確認できます。
「木崎ライス」というオリジナルメニューがあった!
かつて、開校記念日の前後に1回、年度の終わりや節目で給食に出されていた「木崎ライス」。1983年11月(昭和58年)に誕生しました。当時、学校は近くの農園を借りてさつま芋を作っていました。その年は大変豊作で、子どもたちが家に持って帰っても余るさつま芋を給食で使うことを考えました。そこで誕生したのが「木崎ライス」です。お赤飯の中にさつま芋のから揚げを入れたもので子供たちに人気でした。
窓ガラスを修理するためにPTAができた!
戦後、荒廃した校舎の窓ガラスとピアノ購入の 目的で発足した後援会がPTAになりました。
林間学校はPTA行事だった!
1955年(昭和35年)、最初の目的地は軽井沢でした。初期のねらいは、夏休みにどこにも出かけることができない子どものためにPTAが企画した旅行でした。
プール建設を後押ししたのはPTAだった!
分校した学校にプールがあるのに、木崎小学校は長くプールがありませんでした。歩いて他校に借りに行く時間が長く、子どもの負担でした。PTAでは、プール建設の為の後援会を設置。地主との交渉をしたり、460万円を超える寄付金を集めたりしました。その活動は3年間にも及びました。